週報です。お酒を飲みながら書くという初の試みに挑戦しています。理由はこの週報の中身がかなり恥ずかしいからです。

岐阜に旅行した

月曜に有給を取って、土日月の 3 日間で旅行に出かけました。行き先は岐阜県と決めていて、実際 3 日のほとんどを岐阜で過ごしました。具体的に岐阜のどこかというのはほぼ決めていなくて、今から振り返るとかなり非効率な旅程だったなーと思います。

なぜ岐阜かという理由は先週の土曜日にさかのぼります。先週の土曜日、やたら早く寝たせいかあまり寝付きが良くなく、僕は色々な夢を見ました。僕の夢はシナリオみたいなのがなくて、何の脈略もなくバッと場面が移るみたいな感じなんですが、その最後の場面が「岐阜県の温泉に VTuber たちと入浴している」というものでした。
視覚的に見えるのは岩と白い湯気くらいで、あと誰かがシャワーを浴びている音くらいしか分からなかったんですが、「ここが岐阜県の温泉宿で、僕は VTuber たちと一緒にお風呂に入っている」という状況がなぜか一瞬で頭に入ってきたのです。

目が覚めたら午前 4 時で、背中にびっしょり汗をかいていました。今から岐阜に行くという考えが一瞬よぎったのですが、やっぱり眠かったので二度寝しました。次に起きたら 10 時で、やっぱり来週行くことにしました。

Kindle 本

山道を走るのが好きらしいということが分かったので、本来は車を借りて山の間を縫うように走ってみたいとか思ってたんですが、行きのバスの中で免許を持ってき忘れたことに気づきました。あと、バスの行き先も恵那と間違えて伊那行きのものを取っていました。

地理感覚のなさと僕の適当さが限界突破した結果、ほとんどの時間を電車に乗って過ごしました。旅行ではなく移動しているというやつですね。伊那から飯田線、塩尻から中央線、美濃太田から高山線という感じで色々な路線に乗ることができました。

Kindle はまじですごいです。旅先でもいくらでも本を持ち運べるし、読む本がなくなったら追加で新しく買うこともできます。過去一番に本を読みまくった気がします。

「人間をお休みしてヤギになってみた結果」

人間をお休みしてヤギになってみた結果という本を読みました。Twitter か何かで見つけて気になってたやつだと思います。

物理的なヤギの運動能力だけでなく、自分自身の思考をヤギの考え方に近づけるというところにまで触れられていて面白かったです。僕はできれば犬になりたいです。

「1973 年のピンボール」「海辺のカフカ」

「風の歌を聴け」「羊をめぐる冒険」に加えて、村上春樹の作品を何冊か読みました(こんなにいっぱい読むことになるとは思わなかったです)。

海辺のカフカは以前中学生か高校生の時に学校から指定されて読んだような気がします。というか自分の部屋に 1 冊文庫本が置いてあって、ただあまりに部屋が汚いので床の一部として捻じ曲がった状態で放置されています。

急に読み返してみたくなって Kindle で買い直してみたんですが、えっちなシーンだけ猛烈に覚えていて気持ち悪かったです(自分自身が)。それ以外の部分はとても新鮮というか、初めて読むような感覚でした。物語の中で引用されてるモチーフ自体が分からなかったというのはあるかもしれないけど、過去の自分がえっちなシーン以外飛ばして読んでただけという気がします。

ポエム

そして今その旅行から帰ってきました。歩いたり乗ったり、しかも深夜は起きてブラジル GP を見たりしていたので疲れているはずなんですが、寝れずにこの週報を書いています。

当然の結果として、岐阜の温泉宿を取ったところで VTuber に会えるわけじゃないし、運命的な出来事が起こるわけでもなかったです。物語の中の夢には必ず意味があるけど、それは当然小説という人工的な作品の中だからというだけであって、実際には夢が現実(特に未来)の暗示になるはずはないのです。悲しい。

ただ、2 泊 3 日を 1 人で過ごした結果として、自分探ししている場合じゃないなあというか、外部に何かを求めていっても仕方ないなあということを強く思いました。自分が大学生で、やりたいこともなくて、ぼんやり将来の夢を探している――という状況なら放浪には意味があると思うんですけど、ある程度やりたいことと言えるものがあれば(Nuita のこととか)、特急に乗ったり紅葉を見たりするタイプの旅行は無意味なのかもしれません。

外部にエモを探しに行っている場合じゃない。おれが、おれ自身が行動してエモになるんだ。――みたいなことを帰りの新幹線の中で考えていた気がします。恥ずかしい。できる範囲でがんばっていきたいと思います。