数回に一度、あるいは近年数十回に一度しかないことなんだけど、昨日は家ですごく良い酔っ払い方をした。良い酔っ払い方をすると、ただ幸せになるだけでなく、目や耳の受け取り方が変わる。入力にパターンを見出そうとする脳の機能が黙り、背後の文脈とかどうでもよくなって、音楽では音自体の、映像では色自体のパワーみたいなのが受け取れるようになる。西田幾多郎の純粋経験みたいなやつかも。色を見、音を聞く刹那、未だ主もなく客もなく、知識とその対象とが合一している……。
大昔のTwitterで、「モンゴル人は部族間で重大な議論をする際に、まずシラフで合意し、酔っ払った状態でもう一度その合意を確かめた」という投稿を見た記憶がある。いくら調べても出てこないので嘘かもしれないけど、自分自身はその方法をとても気に入っている。重要な決断は一度シラフで決め、飲酒した状態で本当にそれでいいか確かめる。シラフの自分は理性や論理を担当し、酔っ払った自分がパッションを担当する。自分が2人に増えたみたいでいいと思う。
で、昨日酔っ払った代償として、今日は朝から頭が重く、何にも集中できなかった。Twitterのスワイプがやたら魅力的に感じた。仕方ないので散歩に出かけた。お盆だし、と思って霊園に出かけた。霊園自体は閑散としてたけど、近くの料亭やコンビニにはお墓参りっぽい人たちがいたね。コンビニに菊の花や線香を売っているのは珍しい気がする。